真っ白な館

思い付いたことを書きます。

ある意味で完璧な「ファンサービス」映画ーー『マトリックス・レザレクションズ』について

公開初日の朝イチで観に行ってその日の夜には書き上げていた文章です。観終わった直後は満足しながら映画館を出たのだけれど、帰宅したあたりでモヤモヤが溜まり、結局こういう記事を書くことになった。ネタバレです。

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ブルーピルを選んだネオのアナザーストーリーをやるのかなとか想像してたが、ストレートに『マトリックス・レボリューションズ』の続編(!)をやってきてびっくりした。変に逃げず物語を継ぎ足した点は好感が持てる。持てるがしかしこれ続編はやめといた方がよかったんじゃないかなぁ。
本作でのネオは「伝説のゲーム〈マトリックス〉トリロジー三部作を作った天才ゲームデザイナー」で、今ではスポンサーから続編作るよう強いられてる……という導入は「おっ! この状況を敢えて自己言及で深掘りするんですね! そういうの嫌いじゃないですよ!」ってテンション上がった(「人間を機械の支配から解放する物語」が、機械による支配に利用されている構図!)のに、後半で失速していった結果、自己言及が結局「メタっぽいことをやります」という自己弁明にシフトしてしまったと思う。
中盤くらいで開陳される本作のシチュエーションはこうだ。ーー『マトリックス・レボリューションズ』の後の現実世界では機械/プログラムもマトリックスから離脱していくようになり、ザイオンが滅びた後に生まれた新しい街アイオで人間と共存している。そんな中マトリックスではバージョンアップが行われ、アーキテクトの後任と思しきプログラム「アナリスト」はネオとトリニティを蘇生させ、新しいバージョンのマトリックスに60年間閉じこめていたのだが、アイオの住人でありネオを崇拝する「ネオ主義者」のバッグスは、マトリックスの中で偶然ネオを発見し、彼を再び現実世界に呼び戻したのである。
一旦完結した作品の続きを描く辺りの設定追加は面白く違和感もない、ただ結果として大枠の緊張感は失われてしまった。本作では人間とマトリックスとの戦いはある種の小康状態に落ちついており(というかその平和は三部作でネオがもたらしたものなので)、結果機械たちと再び闘う意味がぼんやりとしてる。だから前半でマトリックスから出ようとする展開が一番盛り上がるし、後半からのアクションシーンの展開が概ねだらけている。メロヴィンジアンはストーリーの賑やかし程度に出てくるだけだし、スミスもバトル中にいつの間にか場から姿を消し、一番大事なシーンで突然協力者へとシフトする。物語の為にキャラクターが動くようになってしまえばそこにあるのはファンサービスだけ、というのがきつい。いやしかしとってつけたようにメロヴィンジアンが出てきて「スピンオフでな!」って言って退場していったのマジでなんだったんだ。ただ本作でホームレス化(本当の意味での「放浪者(exile)」になっていた)のは意外性があって良かった。
あと、初代モーフィアス(ローレンス・フィッシュバーン)は既に故人であり、二代目モーフィアスとして出てくるのは「ネオがゲームデザイナー構築したシミュレーションの中で進化したプログラム」であるというずらし方で出してきたのも、かなり面白かった。でもあんまり活躍できてたかというと微妙だし、「味方のプログラム」としての特性が映像として活かせてるかというと怪しい(後半はマトリックスの中で出てこない)。*1
で、一番気になるのはトリニティの扱いなのであった。ネオの活躍の場が減った割に(キアヌ・リーブスを使いながらキアヌが殆どアクションをしない!)、その分トリニティに比重が割かれるかといえばそんなことはない。彼女は蘇生されたあとに記憶を失い、夫や子ども3人と暮らす主婦(バイクが趣味)という人生を送っていたが、ネオとの出会いで彼に惹かれていき記憶を取り戻す……という大筋を辿る。つまり、トリニティの方にドラマがないのである。一番のクライマックスでネオではなくトリニティが救世主としての力を取り戻すため、このドラマの欠如は一層目立ってしまう。*2ただし、構図としては『マトリックス』における「トリニティがネオを信じたからネオが救世主になった」の裏返しとして「ネオがトリニティを信じたからトリニティが救世主になる」なので、この展開は巧いしきれいな着地だから悪くない。悪くないんだけど、だからこそ、結論としては「やりたいことはわかるのだが面白くはない」、になる。
ただし、ここまであげつらったようなことは、個々の指摘であれば〈マトリックス〉三部作でも可能な類いの指摘だと思う。「Dodge this」とかなんであんなに接近するまでエージェント気づかねえんだよとか、ナイオビ流石に船貸す展開は強引ではとか、『マトリックス・レボリューションズ』のラストの展開の賛否とか(呼んだらしい)、色々あるわけである。それでも、ストーリー部分での欠点を補うだけの魅力が備わっていた。
つまり、『マトリックス』にあって本作にないものがあるからつまらないのだ、という感想になる。レッドピルとブルーピル、高速で拳が動く模擬戦闘シーン、弾丸をいとも簡単に回避するエージェント、ビルのフロアでの銃撃戦、スローモーションで乱射されるガトリング、空を飛ぶネオ、刀と銃を持ったモーフィアス、爆発と共に着地するトリニティ、内部から爆発するサーバールーム、雨の中立ち並ぶ何百人ものスミス、空を飛ぶネオ、空を飛ぶネオ、空を飛ぶネオ。映画とは映像表現であり、ストーリー展開が微妙でも面白い映画はごまんとある。だからこそ、広い空間で行われていた超常的なアクションの数々は失われ、終始狭い空間でブレの激しいアクションカットを何度も繰り返す『マトリックス・レザレクションズ』に退屈さを感じるのは当然の結果なのかもしえない。
結論としては、ファンムービーに分類するのが丁度いい。
ファンだったから満足したけど、あまりにもファンサービスがすぎる。

余談

ここまで書いておいて掌を返すが、自分は楽しんだ。ファンだからだ。いやさ、冒頭10分くらいを『マトリックス』の冒頭に被せてくるところとか、モーフィアスの聖人像とか、サティの再登場とか、共闘するネオとスミスとか、テンション上がるところたくさんあったんですよ。あっただけあって悲しい。ファンサービスやるならバレットタイムやってほしかった。バレットタイムはいじられるだけで出てこない。楽しんだは楽しんだが、人にすすめるかは怪しい。
いやですね、自分でもびっくりしたんですよ。「アクションがないから否定的な意見言うのは良くないんじゃないかなぁ……」って気持ちを抱きつつ観に行ったらマジでアクションが駄目だったので……。「色々なものを一歩引いて感情を排して分析したら意図はわかる、でも観ていた間の半分近くを退屈に感じてしまった」というインプレッションはもう否定しようがないので……。
あ、でも『ハプニング』冒頭オマージュな展開(そうか?)があったのはめちゃくちゃ好き。

*1:本作とは全く関係ないのだが、『バットマン:ラストナイト・オン・アース』という作品は「大元のコピーとして生み出された存在が自らの実存に向き合う物語」を描こうとしていたので結構好きだった。

*2:ここで思い出したのはhttps://saebou.hatenablog.com/entry/20150415/p1 のsaebouさんの『ジュピター』感想である。なお、申し訳ないが自分は『ジュピター』を未視聴であるため、近日中に観たい。