真っ白な館

思い付いたことを書きます。

八鍬新之介『窓ぎわのトットちゃん』/北野武『首』観た

2024年は定期的に感想を残していきたい。

八鍬新之介『窓ぎわのトットちゃん』(2023)


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黒柳徹子の同名自伝小説の映画化。1940年~1944年頃に、自由が丘の学校に転校した「トットちゃん」=黒柳徹子の生活を描く。原作は未読。戦中ものとしては『この世界の片隅に』や『ジョジョ・ラビット』あたりと同じ箱に入る。
コロコロと表情を変え、活き活きと動き回るトットちゃんの天真爛漫な様子に魅了されざるをえない。その様子が同時に他人からすると多動性を連想させるところがあり、彼女を受け入れてくれるトモエ学園の皆のやさしさと情愛に心打つものもある。一方、ノンフィクションの映像化という事情もあって、1本の映像作品としては、「ストーリー的な物語の収まりの良さ」という尺度からすると歪なストーリーラインをしており、その歪さは本作独特の魅力として結実している。
シンプルにわかりやすいのは戦争の影だろう。真珠湾攻撃に関するラジオ放送を皮切りに、トットちゃんの生活は少しずつ戦中のそれへと変化していき、きっぷを切る駅員さんがいつの間にかいなくなる(その理由は明言されない)ところから、戦争の影は「死の影」へとその姿を変える。その生活背景が泰明くんの死とオーバーラップすることで、トットちゃんがスローモーションで町中を走るシークエンスにおぞましさが加わることになる。戦場に出征することを「祝う」行進を避けて入り混んだ路地裏では、ガスマスクをつけた子供たちが戦争ごっこに興じ、足をうしなった負傷兵や目の見えない老人の姿が垣間見える。
悲しむべき死が「祝われる」という倒錯を、トットちゃんがどう感じたかは描かれない。が、それを目の当たりにした視聴者にある種の恐怖を抱かせるのは間違いないだろう。

北野武『首』(2023)


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ブラックジョーク映画(……でいい気はするんだけど、こと男色に関してはその文脈で捉えるとあまりよくないと思う。が、意地の悪い見方かもしれないけど、本作における男色って大なり小なりユーモアを意図して描かれてるところあるよね?)。
本作の明確な狂人は織田信長と茂助で、それ以外の人間は、愚鈍か理性的かの違いはあれど、全員まともではある。で、彼らがいるからこそ、その周りにいる秀吉も光秀も、その言動がどこかおもしろく感じてしまう。秀吉がおもしろいのは明らかに演出的なそれなのだが、西島秀俊演じる光秀にユーモアを感じてしまうのは、光秀の愚鈍なキャラクター性が一周回って滑稽だからではあろう。
群像劇的な暴力映画という意味では『アウトレイジ』シリーズも同じ路線な気がするが、『首』の方がギャグ要素強めなのは不思議な気持ちになる。北野武は思い返すと意外と映画でギャグをやりたい人でもあるのかもしれない。
それはそうと、『首』のタイトルロゴ演出がすごくかっこいい(このロゴは公式に流れてるロゴとは異なる書体)。「首」の一画目の点が正に人の首を思わせるな……と思っていたら、まさにそこを横一文字に切り裂くエフェクトがかかる。グッド。