真っ白な館

思い付いたことを書きます。

Jeanine Cummins"American Dirt"炎上騒動の時系列と覚え書き

【2020/08/16 全体的に記述が足りなかったところを追記】
2020年1月21日に発売されたJeanine Cumminsの小説"American Dirt"をご存じだろうか。麻薬カルテルによって新聞記者の夫を含めた家族をほとんど殺された女性が、子どもと2人でアメリカに不法入国で逃げ出そうとする話。日本ではジャニーン・カミンズ『夕陽の道を北へゆけ』として2020年2月に早川書房から翻訳出版されている。
この作品、アメリカでは初版50万部を突破し、スティーヴン・キングマイケル・クライトンドン・ウィンズロウが大絶賛するベストセラーになった一方、「白人作家の著者がメキシコ移民をネタに書いたトラウマポルノだ」ということで結構な炎上騒ぎに発展した。
この概要だけ聞くとうんざりする人は少なからずいると思う……が、Twitter創元SF短編賞宮内悠介賞受賞作家の千葉集先生a.k.a.ネマノさんがこんな発言をされてるのを見かけた。
https://twitter.com/uraq_/status/1281990561906360320
個人のはてなブログがちゃんとしたところかはともかく、せっかくだしと、ふと英語圏の色々掘ってみたところ、問題というか論点がかなり錯綜していることに気づいたので、ウェブに残っているログを元に各種出来事の時系列を整理し、最後に論点をまとめてみた。
以下、記事執筆にあたっての注意点。

  • 参考にした英語の記事などは適宜引用元URLを記載している。引用元の記載がない場合はミスなので指摘してもらいたい。修正する。
  • 個人的な読みやすさを重視してJeanine Cumminsは「カミンズ」、"American Dirt"は引用符なしでAmerican Dirtと表記する。
  • 引用記事とは独立したTwitter上での個別批判ツイートに冠しては、どれを取り上げるべきなのか/そうでないかの判断が難しいため、ほとんどの場合は割愛している。
  • 英語記事で経緯を追うのがそこそこ大変で体力を想像以上に消費したため、正直途中からGoogle翻訳とDeepLを使いまくった。少なくない箇所の翻訳はそれらに頼りまくっているので、ご容赦いただきたい(翻訳ミスはもちろん自分に文責がある)。
  • 自分は当該作品を読む前に調べてしまった為、本当なら読むべきなのかもと思ったものの、現時点で読む気を殆どなくしてしまっている。気が向いたら読むが、自分が本記事公開段階で当該作品を読んでいないことは留意してもらいたい。

出版前

2013年頃

作者が本書執筆のためのリサーチ開始*1

2014-15年頃

作者が本書執筆開始

2015年12月31日

ニューヨークタイムズにカミンズがエッセイを寄稿www.nytimes.com

寄稿内容の主題は、彼女のいとこが被害にあった強姦・強盗殺人事件に関するもの。なお、カミンズは当該事件を題材にA Rip in Heavenを執筆、2004年に出版している。
引用中にもあるいとこのジュリーはレイプされ、ロビンは暴行の後橋から落とされて死亡。犯人4名は実刑を受けたが、別の黒人男性がえん罪判決で(2015年段階でも)刑務所にいることに言及。その後で自身のアイデンティティについて述べている。

For almost 25 years, I asserted that race had no place in the discussion of what happened to my family. I still don’t want to write about race. What I mean is, I really don’t want to write about race. I’m terrified of striking the wrong chord, of being vulnerable, of uncovering shameful ignorance in my psyche. I’m afraid of being misinterpreted.
I am white. The grandmother I shared with Julie and Robin was Puerto Rican, and their father is half Lebanese. But in every practical way, my family is mostly white. I’ll never know the impotent rage of being profiled, or encounter institutionalized hurdles to success because of my skin or hair or name. But I care about race and equality. And it’s imperative for white people to join the conversation about racism. Discomfort is the least of our obligations

この25年間、私の家族に起きたことについて人種の問題を持ち込む気は全くなかった。今でも人種のことを書きたくない。どういう意味かというと、私は本当に人種のことを書きたくないのだ。ひとの感情を逆撫でし、隙だらけになって、自分の精神が恥ずかしいほど無知だということを明らかにするのがこわい。誤解されるのがこわい。
わたしは白人だ。ジュリーやロビン側の祖母はプエルトリコ出身で、彼女の父親はレバノン人のハーフだ。だが実生活の全ての面で、私の家族はほぼ白人だ。プロファイリング対象になることで感じる無気力な怒りを抱いたことも、肌や髪や名前の性で制度的なハードルに成功を阻まれたこともない。それでもわたしは人種や平等のことを気にかけている。そして、白人たちが人種差別の話題に対話していくことは不可欠だ。不快であってもそれは私たちが最低限負う責務だ。

【2020/08/16追記】この論考の意図は「家族に酷い目をあった事件の裏で黒人差別によるえん罪事件が起きていたが、当時の私(あるいは家族)は被害と怒りを理由に偏見への疑問を全く持っていなかった」というもの。しかし、黒人差別を自覚し白人の偏見を是正すべきという戒めを説いた文章が巡り巡って批判対象になるの、悲しい事件である……。

2018年5月下旬

出版社のオークションでFlatiron BooksがAmerican Dirtの出版権を落札。*2

価格は100万ドルを超えたことが報じられている。
本書の刊行は2020年1月である。出版の1年半前から出版社が大金を積んでいる辺り、プロモーションにかなりの力を入れていることが推測される。
自分はアメリカの出版事情に疎いため、版権獲得時点で著者が初稿を脱稿していたのかどうかがイマイチわからない。未完成の原稿にこんな大金積むとは思えないので書き上げていた気がするんだけれどどうなんだろう。識者がいたら教えてほしい。ちなみに、日本に邦訳があるものだと近年では〈フィフティ・シェイズ〉シリーズも落札価格が7桁超えしたらしい*3

2019年1月

Imperative Entertainmentが映像化権を獲得*4

クリント・イーストウッド『運び屋』(2018)の制作会社。

2019年5月

一部のメディアで作品の抜粋が公開

ew.com
この時点でスティーヴン・キングが「大傑作(extraordinary)」、ドン・ウィンズロウが「現代の『怒りの葡萄』(a Grapes of Wrath for our times)」と絶賛コメントを寄せている。

2019年5月29日

カミンズがAmerican Dirt出版キックオフパーティの様子をTwitterで投稿

2019年8月21日

【2020/08/16追記】Shelf AWARENESSにカミンズのインタビュー掲載

www.shelf-awareness.com
ここでのポイントは以下の通り

  • カミンズは自分のアイデンティティについて「ラテン系」と呼称している(no matter how much research I did, regardless of the fact that I'm Latinx,)
  • 執筆にあたって読んだ資料や書籍、また実際にインタビューした人々の実例を挙げている

2019年11月11日

カミンズがカバーと同じデザインのネイル写真をTwitterで投稿

2019年12月12日

学術ブログTROPICS OF METAでMyriam GurbaがAmerican Dirtの酷評記事を発表

tropicsofmeta.com
着火点であり、確認される限り最速かつ一番鮮烈な批判。
トーンがやばい。端的にガチギレである。タイトルの"Pendeja, You Ain’t Steinbeck: My Bronca with Fake-Ass Social Justice Literature"、ざっくり訳すと「ビッチ、お前はスタインベックじゃない:クソッタレなエセ社会正義文学に対する私の抗議」(pendejaは「陰毛」を意味する罵倒語、broncaは抗議・喧嘩・騒ぎの意)。時間がある人は元リンク先の英文をChrome翻訳にかけてみてください。
白人を自称していたのに、19年8月のインタビューでは自分の出自を「ラテン系」とラベリングしていること、出版社が高値を積んだり制作会社が映像化権を買い取ったこと、ストーリープロット的に本書が「[苦難に直面する非白人を白人が救出するという]白人救世主主義」に満ちていること【訂正:「白人の救世主」という言葉を使っているのはBowlesの方で、Gurbaは単に「救世主」としか書いてない】など、作品やマーケティングに関する批判はここで出そろっている。
【2020/08/16追記】記事を書き上げたあとになんでGurbaこんなにキレてるんだろうとあらためて整理したが、文章から推測できそうな理由は以下のようなものだと思う。

  • レビューを依頼してきた編集者経由で聞いた、カミンズの「国境付近に住むメキシコ移民は『顔のない大衆』として描かれている、彼らに顔を与えたい(“she said migrants at the Mexican border were being portrayed as a ‘faceless brown mass.’ She said she wanted to give these people a face.”)」という上から目線発言を耳にしてしまったことが逆鱗に触れた
  • 作品内容としても、明らかにおかしなメキシコ描写が多い。カミンズはメキシコに興味がない・ただの作品の題材くらいにしか思っていないと判断。火に油を注ぐ
    • 特に、本書が映画化されたとき、その作品がトランプ主義者に「ほら! あいつら危険なんだよ」って気持ちを追認させるための道具になるだろうと想像している
  • その結果として酷評レビューを書いたところ、編集者からネガティブなことを書くには知名度が足りないので書き直してと言われる(※この編集者はAmerican Dirt/Flatiron Booksの担当編集のことではありません。念の為)

つまり、「茶色い顔」のGurbaはカミンズから勝手に「顔のない」もの扱いされただけではなく、編集者が原稿をリジェクトしたことで正に顔を剥奪されそうになったわけだ。カミンズ本人が無関係なんだけど(「顔を与えたい」はちょっとなと思うが、オフレコ発言だからなぁ……)この時点で、Gurbaは紛れもない当事者になっているのもあり、カミンズとAmerican Dirtは攻撃対象になってる(「白人でない人を助けてあげよう」という割に姿勢や態度が傲慢なカミンズに対して「新しい救世主さま」と皮肉る、など)。
あと、本論とはズレるがGurbaの没稿内におけるAmerican Dirtを表した部分が素敵だったので翻訳しておく。

Susan Sontag wrote that “[a] sensibility (as distinct from an idea) is one of the hardest things to talk about” and with this challenge in mind, I assert that American Dirt fails to convey any Mexican sensibility. It aspires to be Día de los Muertos but it, instead, embodies Halloween. The proof rests in the novel’s painful humorlessness. Mexicans have over a hundred nicknames for death, most of them are playful because death is our favorite playmate, and Octavio Paz explained our unique relationship with la muerte when he wrote, “The Mexican…is familiar with death. [He] jokes about it, caresses it, sleeps with it, celebrates it. It is one of his favorite toys and his most steadfast love.” Cummins’ failure to approach death with appropriate curiosity, and humility, is what makes American Dirt a perfect read for your local self-righteous gringa book club.

スーザン・ソンタグは「感性(それはアイデアとは区別される)は最も語りづらいものの1つである」と述べている。そのことを念頭に置くと、American Dirtはメキシコの感性を伝えられないように思う。死者の日を目指したものの、そのかわりに体現したのはハロウィーンだった。この小説が苦痛なまでに滑稽なのがその証拠だ。メキシコの人々は死に対して100以上のニックネームを持ちあわせていて、その殆どが遊び心に満ちている。なぜなら彼らは私たちに大人気の遊び相手だからだ。オクタビオ・パスは死[la muerte]と人々の間にあるユニークな関係をこう説明している。「メキシコの人々は……死ととても親密である。死にジョークを言って、死を愛撫し、死と共に眠り、死を祝う。最も気に入った玩具、最も堅実な愛の一つなのだ。」カミンズが適切な好奇心と謙虚さを持ち合わせずに死に近づけなかった。そしてそのことが、American Dirtを一部の独善的なグリンガ(英米人を指すスペイン語の俗語)読書クラブ向けの本として完璧にしてしまった。

後述のとおり、Myriam Gurbaは出版後もTwitter上で本書を批判している。

2020年1月1日

ニューヨークタイムズが元旦に「今年期待の本20冊」でAmerican Dirtを紹介

1月21日発売だからかAmerican Dirtの書影画像がサムネの一番目立つ位置に配置されている。

2020年1月13日

ニューヨークタイムズにカミンズのインタビュー記事が掲載


文責は Alexandra Alter。
この時点で刷り部数は50万部が確定。Gurbaからの批判にも記事内で言及。
カミンズの発言で注目すべきは以下の様なもの。

  • 自分がこの物語を伝えるために正しい人間なのかはわからない(“I don’t know if I’m the right person to tell this story,”)
  • 文化的な盗用についての議論は非常に重要だとおもうけど、時々行きすぎて人々を黙らせてしまう/すべての人が、最新の注意と感受性を持ちながら、これらの物語を語っていくべき(“I do think that the conversation about cultural appropriation is incredibly important, but I also think that there is a danger sometimes of going too far toward silencing people,”/“Everyone should be engaged in telling these stories, with tremendous care and sensitivity.”
    • なお、この「人々を黙らせてしまう」という表現も火種の一つで、後述のとおり、ニューヨークタイムズに作品の冒頭が掲載されるような作者が「黙らせられる」側のわけないでしょ、という論調がある。

また、この記事内では、本書あとがきに「私の持つ特権はある種の真実を見えなくしてしまう/わたしよりもう少し茶色い人が書いてくれたら」という記述があったことに言及している(あとがきの当該箇所全文は"I worried that my privilege would make me blind to certain truths. I wished someone slightly browner than me would write it")。
この箇所はAmerican Dirtの主要な炎上ポイントだったので、この記事も着火点のひとつだったのではないかと推測する。

2020年1月17日

ニューヨークタイムズにParul Sehgalのレビューが掲載www.nytimes.com

小説としての荒さを指摘・批判していて、全体的に辛辣。ただ、メキシコ描写の矛盾みたいなものはこのレビューではほとんど指摘していない。比喩表現が下手クソとか、そういうレベルに留まる。

  • この本の欠点は作者のアイデンティティと殆ど関係ない。全ては小説家としての能力の問題だ("The real failures of the book, however, have little to do with the writer’s identity and everything to do with her abilities as a novelist.")
  • [カミンズが調査をおこなったと言っているが、それでもなお]この本はとにかくアウトサイダー[非当事者]の作品だと感じる("Still, the book feels conspicuously like the work of an outsider. ")
    • 個人的にクリティカルな指摘だなと思ったのは、作中での「褐色の頬に涙が流れた」的な表現に対する「いや、自分の家族と抱き合うときに『ああ、ぼくは君の褐色の首に抱きついてる』なんて考えたりしねえよ。俺なんか間違ってる?」ってツッコミ。

その他、「キャラクターが浅い/いい人はいい人っぽく、悪役は悪役っぽく描かれる」「拷問めいた文章はともかく読みやすい。政治的な本で、強制移民の根本原因は無視される。アメリカ人読者は不快な自己批判なしに読むことができる」など、作品の読みやすさやエンターテイメント性を皮肉ってる。

2020年1月19日

ニューヨークタイムズにLauren Groffによる書評が掲載www.nytimes.com

このレビューをニューヨークタイムズTwitterアカウントが「American Dirtは過去数年で読んだ中で最も心を痛めた本」とレビュー中に存在しない文言で宣伝ツイートしたところ、Lauren Groff本人がTwitterで「そのツイートを取り下げて私の実際の原稿を投稿して」との旨ツイート。一連の経緯は以下のとおり。
https://twitter.com/therealbradbabs/status/1218939285396774912
どうやら、Groffはかなり前に絶賛調のレビューを提出していたものの、17日にParul Sehgalの酷評レビューが発表されたことで、原稿をよりマイルド(批判的な側面を織り込む)にした。しかしニューヨークタイムズの中の人は、「改稿前の原稿には存在したが、最新版では削除された褒め言葉」をツイートに使っちゃった……ということらしい*5

David Bowlesによる批判記事がアップ

medium.com
一連の騒動におけるガチギレモードの人その2。「有害で、流用だらけ、不正確なトラウマポルノのメロドラマ("And it’s harmful, appropriating, inaccurate, trauma-porn melodrama.")」とまでこき下ろしている。メキシコ文化の描写のおかしさを指摘している。

  • 19年8月のインタビューで「色んな人にインタビューした」と言ったこと、その上で彼らのことを「顔のない大衆」と呼んで彼らに顔を与えたいと言ったことを受けて、その行動を「白人の救世主になるため(to be their white savior)」のものだと指摘。
  • 「自分よりもう少し茶色い人が書いてほしい」という発言に対して、彼女が研究のために読んだという現代メキシコ小説をなかったものとして扱っている(I wish someone ... would write it.という表現は、「でもそういった小説が存在しない、だから私が書いた」というニュアンスを含んでしまうのではないかと思う)
  • 本作のプロモーションの中でカミンズが自分の夫が不法移民であることに言及(あたかも自分が不法移民問題を書く正当性を備えているとでも言うかのように)
  • スペイン語関連の記述や文化・話法に関する記述の間違いや必然性のなさを細かく指摘
    • メキシコっぽさを出す為に絶対使わないスペイン語表現を無理やり入れてる
    • 英語で書かれてるのにわざわざ意図的に散りばめられたスペイン語表現が初級レベル
    • メキシコ人なら誰でも知ってるlechuza(梟)の含意(魔女、死の前触れ)を、メキシコに生きてる女性主人公が知らない
      • 個人的には、【スペイン語話者じゃない人間がスペイン語周りの記述を書くと多少変になっても仕方ないかもしれないが、調査した結果がこれでメキシコ文化のパッチワークなのがすぐバレてしまうのなら、本作は普通に拙いのだろう……】ということだと認識している。
  • カミンズの「人々を黙らせてしまう」という表現に対して「私たちが彼女を批判するとき、私たちこそが悪者になる」と批判
  • なお、この記事は「American Dirtの代わりに読むべき本リスト」として以下の作品をレコメンドしているのがあるのが良い
    • Reyna Grande: Dream Called Home & Distance Between Us
    • Luis Urrea: Devil’s Highway, Into the Beautiful North
    • Cristina Henríquez: Book of Unknown Americans
    • Ana Raquel Minian: Undocumented Lives
    • Anabel Hernández: Massacre in Mexico
    • Guadalupe García McCall: All the Stars Denied
    • Yuri Herrera: Signs Preceding the End of the World
    • Valeria Luiselli: Tell Me How It Ends
    • Oscar Cásares: Where We Come From
    • Alfredo Corchado: Homelands
    • Javier Zamora: Unaccompanied
    • Daniel Peña: Bang
    • Sylvia Zéleny: The Everything I Have Lost
    • Sara Uribe: Antígona González
    • Silvia Moreno García: Untamed Shore

1月20日

ニューヨークタイムズにAmerican Dirtの冒頭が無料公開*6

出版後

1月21日

CBS This Morningにカミンズがアメリカの名物司会者Oprah Winfreyと一緒に登場

リンク先に童画もあります。
www.cbsnews.com
Oprah WinfreyはWikipediaによるとアメリカ一裕福なアフリカ系アメリカ人
WinfreyはテレビでAmerican Dirtを彼女の読書クラブ番組Oprah's Book Clubの題材にすることを発表。
後述の1月27日Bowlesの指摘によると、出版プロモーション(売上後押し)として考えた時に、アメリカで一番影響のある出来事はOprah's Book Clubにとりあげられることらしい。つまり、本書がOprah's Book Clubにとりあげられたことで、話題(騒動)が更に白熱化した可能性がある。

Guardian誌に「Oprah's Book Clubへの批判が出ている」という話題が記事になる*7

申しわけないが無料だと読めないので内容は割愛。

Barbara VanDenburghがUSA TODAYに寄稿したレビュー記事

www.usatoday.com
この “I wished someone slightly browner than me would write it.”
カミンズの言う「わたしよりもう少し茶色い」作家はたくさんいることを指摘し、ステレオタイプにまみれたメキシコ人/メキシコ移民描写だらけの作品を書いたカミンズが「わたしたちは彼らを同じ人間であるとはほとんど考えない("We seldom think of them as our fellow human beings.")」と書いてることに対して「悪いけど、私たちって誰のことですか?("I am sorry, but who is we?"」と皮肉ってる。「あなたの目で勝手にこちらを『自分と同じ側』にカテゴライズするんじゃねえよ」という意味かと思われる。

  • ちなみに、実際に存在する「もうすこし茶色い作家」の実例として以下の作品が上がっている
    • Valeria Luiselli“Lost Children Archive.”
    • Ingrid Rojas Contreras “Fruit of the Drunken Tree”
  • Luis Alberto Urrea“The Devil’s Highway” by Mexican writer

2020年1月22日

カミンズがボルティモアのイベントに出演して各種批判についてコメントを残す

業界情報サイトのPublisher Lunchに詳細が書いているらしいが、有料なので詳細は確認できていない。
lithub.com
カミンズの発言としては以下の様なものがある。

  • 書店からの「カミンズが本書を書く権利はなにから与えられていると思うか」という質問に対して→
    • 5年間悩んできた
    • 『あなたは誰だと思うか』と問われるのを怖れてきた
    • [彼女の調査の中で出会った]様々な当事者(移民・誰かを守る為に加害者になった人・実際の被害者など)と話す中で、本を書くのを怖れること自体が臆病なのだと思うようになった
    • 7年かけて書いたものに提供してくれたお金を断るつもりはなかった
  • (トラウマポルノだという批判に対して)この本に書かれたことをベースに[American Dirtを]嫌ってもそれは問題ない。みんなが私の本を好きになる必要はない
Oprah WinfreyがInstagramでAmerican Dirtの告知をおこなう*8

また、数名の(おそらく)メキシコ系女優に対してWinfreyのプロデューサーからAmerican Dirtが送られてSNSにアップされるようになる(3名いたがそのうち2名はツイートを削除)。

ワシントンポストで一連の騒動に関する記事が上がるwww.washingtonpost.com

主にレイシズム問題であるという論調。2015年の研究を取り上げて、出版業界の専門職のうち79%、ブックレビュアーのうち10人中9人が「白人」だと指摘。

David Schmidtによる批判記事が掲載

※ウェブサイトのタイムスタンプが24日になっているのだが、このツイートだと22日時点で引用されてるので22日としておく。
https://thebluenib.com/a-poor-imitation-american-dirt-and-misrepresentations-of-mexico/thebluenib.com
批判の中でもメキシコ人の文化や常識に照らし合わせてまず有り得ないような間違った反応を多く指摘している。列挙するのが大変なので一つだけ上げると、「息子の名前がLucaだけど男の子ならLucas。イタリア・ハンガリールーマニアあたりからの養子か?」というツッコミは流石にきついとは思った。

Myriam GurbaはTwitterで昨年の彼女のツイートを取り上げて批判

有刺鉄線のモチーフをきらびやかに使っているが、メキシコ不法移民にとっての有刺鉄線とは恐怖の象徴であり、ネタにしていいものではない……という趣旨。

Roberto LovatoがTwitterハッシュタグ運動#DignidadLiterariaを立ち上げ

※つかれてきたのでWikipediaを貼る
en.wikipedia.org
【2020/08/16追記】
ハッシュタグスペイン語で「文学の尊厳」とか「文学の品格」の意。ラテン系作家にハッシュタグ投稿を主軸に行動を呼びかけるのが目的。
なお、当該ハッシュタグが最初に使われたツイートは以下の通り。


見てのとおり、一番最初のツイートはお気に入り数15である。この時点では大して影響力があるわけではないではないのだが、27日頃から流れが大きく変わる。
【追記終わり】
Lovato、Gurba、Bowlesの3名はこの騒動における主要な批判者である。

2020年1月23日

David Bowlesが出版業界に対する批判を投稿

medium.com
出版業界の動きを指摘する記事としては一番詳しいかも。こちらの記事では、非メキシコ人がメキシコを書いたこと以上に、そんな間違いだらけの内容の作品を何百万人に売り込もうとしているのを批判している。カミンズのように出版社で働いたことのある白人女性がタイムリーなテーマの小説を書こうとしたところに尻馬に乗った出版業界人がクソ、というのが趣旨。批判対象にしているのは以下のとおり

  • Flatiron Books(出版社)
  • Macmillan (親会社)
  • The New York Timesや大手書店(へびこつらいを売りさばいてる)
  • Kirkusなどのジャーナル紙(好意的レビューをつけた)
  • Oprah Winfrey (影響力のある自分のブッククラブに取り上げた)

2020年1月24日

Flatiron Booksと英国の出版社Headlineが批判に対するコメントを行う

一次ソースが有料だったのでGuardians誌の記事より。
www.theguardian.com
Headlineのコメントは割愛するが、Flatiron Booksは「[本書に関する批判や問題提起などの]会話を歓迎する」「危険な世界で安全を見つけるためにもがく人々の共感を呼び起こしたい。出版社としてはAmerican Dirtがそのためのレンズだと捉えているし、そのように読者に受け入れてもらえることを望む」とコメントしている。

David J. SchmidtがAmerican Dirt内におけるラテン系作家からのモチーフ引用についてハフィントンポストに寄稿

カミンズが参考にしたと明言しているノンフィクションと、American Dirt内の特定の描写との間には驚く程の類似が存在するらしい(念の為書いておくが、Schmidtは「盗作にはあたらないだろう」とちゃんと注記している)。
www.huffpost.com
国境地域特有の英墨混合スラングとされるものが実際はメキシコ全土特有の表現だったりとか、そういった文化的な間違いの指摘はコミカルだと言いつつ(多分皮肉)、明らかにGoogle翻訳っぽいスペイン語の記述があるみたいな指摘はあちゃーってなるし、ノンフィクションに描かれた少年の死が似たような描写で作品に引用されてるのは(有刺鉄線インテリアパーティと同じく)搾取であるという指摘はたしかにと思う。
また、前述のワシントンポストの報道記事のタイトル(「American Dirtは非メキシコ系作家によるメキシコの小説だ。一部の人にはそのことが問題になっている/"‘American Dirt’ is a novel about Mexicans by a writer who isn’t. For some, that’s a problem."」)を「問題の要点を民族性のものと捉え間違えている」とも批判している。

1月25日

Jennifer SchuesslerとAlexandra Alterの文責による記事がニューヨークタイムズに掲載

これまでのAmerican Dirtの報道記事に比べると、ニューヨークタイムズが自分たちで取材した広範な人物からのコメントを拾ってきていて一番「ニュートラルなまとめ」になっていると思われる。
www.nytimes.com

1月27日

David Bowlesがニューヨークタイムズに寄稿

www.nytimes.com
Bowlesの故郷の図書館がOraphブッククラブの試験的パートナーシップの対象になった話に言及している。図書館長は喜んでいたが、パートナー図書館に事前に送られてくる課題本が届いてそれがAmerican Dirtだと知ったことで「国境近くの図書館は、主題的に当たり前のように推薦してくれる」という想定がされていたことに落胆、パートナーシップを辞退したとのこと。
また、出版プロモーションで現在一番影響力があるのはOprah's Book Clubである一方、過去82冊の題材(1996年以降年間で最大5冊課題本に選ばれる)のうちメキシコ系作家の作品は0冊であることも指摘。
そして、出版業界が1冊の本に100万ドル出すような出版業界の産業構造そのものが間違っているのだとまとめている。

【2020/08/16追記】Roberto Lovatoが#DignidadLiteraria 運動を本格化

LovatoがTwitterで画像つきツイートを投稿


1月26日までの#DignidadLiteraria ハッシュタグの投稿数はわずか12だが、27日以降一気に増えている。
ハッシュタグ運動が広がったのはDavid Bowlesの影響が大きいと思われる。上記ツイートに呼応するように、主要な批判者であるBowlesが27日以降Twitterでの投稿の多くにハッシュタグを使用するようになっている。
なお、本ハッシュタグを使用したツイートでお気に入り数が100を超えるものはそれ程多くなく(ログを全部追える程度)、1000を超えるものは2020/08/16段階で3件のみである。Twitter周りはガッツリ調べたわけではないが、これはラテン系の人々に向けた運動であり、結果「運動への参加者が少数派」「彼らへの反響が少ない(無視されている)」ことの傍証になっているように感じる。
twitter.com

2020年1月29日

Flatiron booksがTwitterで社長の名前で謝罪声明とプロモーションツアー中止を発表


できれば全文を読んでほしいが、要点としては以下のとおり

  • 本書にはこの40年で一番期待と興奮を抱いていた
  • だからラテン系作家たちの怒りの声には驚いたし、驚いたことそのものが自分たちの限界や不備を示している。無神経だった。
    • カミンズの夫が不法移民であることを主張しつつ、彼がアイルランド出身であることを隠すべきでなかった
    • 5月のディナーで本のジャケットを何も考えずにインテリアとして利用すべきでなかった(有刺鉄線のやつを指してる)
  • カミンズは移民の悲劇にスポットライトを当てるようと5年間がんばってきたから、彼女の善意が憎しみの対象になっているのは不幸なこと。
  • 双方向的な対話が必要で、批判に有効性が存在しても、それは物理的な暴力の脅迫事例の言い訳にはならない
  • 安全を確保するため、ブックツアーはキャンセルする
  • 対話から逃げるつもりはなく、問題は解決していきたい。問題を提起したグループのタウンホールミーティングを組織していく予定。

なお、この声明はラテン系の人々からの批判を暴力的でおそろしいものとしてまとめているので、「白人特権」「犠牲者きどり」「ドッグホイッスル*9」といった批判を受けている。ここでの文脈で言えば、安全圏にいる白人が自分たちの被害をことさら強調しつつ、「ね? 白人じゃないやつらは危険なんだよ」というメッセージを発信ている……という批判かと思われる。*10
【2020/08/16追記】また、後述の会合にて、Lovatoが「カミンズは殺害予告を受けていない」という言質を出版社から取っているのも注目ポイント。


ちなみに、Gurbaは19年12月の批判をおこなった後、死を仄めかす脅迫を受けている*11
【追記ここまで】

Oprah Winfreyに対して、American Dirtを取り上げるのを再検討すべきと言う公開書簡がアップ

141人が署名。
lithub.com
筆名をざっと眺めている限りでは、ルーツをアメリカ以外に持つ名前が相当多いように思う。

1月30日

【2020/08/16追記】REFORMAが #DignidadLiteraria に対する連帯声明を発表

www.reforma.org
REFORMAの正式名称は「全米ラテン系・スペイン語話者向け図書館・情報サービス促進協会(the National Association to Promote Library and Information Services to Latinos and the Spanish-speaking)」。reformaはスペイン語で「改革」を意味する。非営利団体であり、図書館学を専攻する大学院生や図書館職員を目指す学生向けの奨学金制度の他、図書館員に送られる賞なども運営。
読書リストの作成と「ラテン系の人々に共感されるラテン系作家の大人向け作品賞」の設立表明がポイントかと思う。内容にとても感じ入るものがあったので、抜粋して翻訳。

The pain, anger, and disappointment that community members are expressing are not solely based on a single title or author. Rather, the critiques we have seen are a response to the systemic silencing of Latinx authors and communities of color by the publishing industry. It is apparent that the stories of our communities are often valued by the industry when produced by those who have not lived the experiences first hand. The power behind publishing, promoting, and consuming stories is immense; what we read shapes the national consciousness.
We are also saddened that it appears our experiences can only be profitable when our trauma is exploited and sensationalized. In turn, the Latinx experience is flattened into one-dimensional stereotypes, where we only exist to be vessels for trauma and pain; our redemption can only be had when we turn away from our roots and each other to strive for the hegemonic American Dream. REFORMA would like to applaud the coalition building that this national conversation has created. We have mobilized; the call to action has been made. REFORMA has also taken this moment in time to evaluate how our members can be better represented in the publishing world, and what we as an organization can do to achieve this. REFORMA has begun discussions on establishing a dedicated reading list and an annual Adult Fiction Award highlighting the stories that are written by and resonate with Latinos. We call upon our members to be part of this movement, and hope to begin these initiatives shortly.

コミュニティのメンバーが表明している苦痛・怒り・失望は、単に1つの作品や作家に基づいているのではありません。むしろ、私たちが見てきた批判*12は出版産業がラテン系作家とコミュニティに対して制度的に沈黙を守っていることへの反応です。私たちのコミュニティの物語は、実際に体験したことがない人によって作られたときに業界から評価されることが多いのは明らかです。物語を出版し、宣伝し、消費することの裏に存在する権力[の大きさ]は計り知れません――私たちが読むものが国民意識を形成します。
私たちの経験が利益を生むのは、トラウマが悪用されてセンセーショナルにされたときだけのように見えることにも、我々は悲しんでいます。Latinxの経験は次々と一元的なステレオタイプに平坦化され、そこでの私たちの存在はただのトラウマと苦痛が溜まった容器でしかありません。私たちは補償を得られるのは、自身のルーツや互いの存在から背を向け独占的なアメリカン・ドリームに向かって努力するときだけです。REFORMAは、この全国的な対話によって作り出された連帯に称賛を送りたいと思います。私たちは動かしたのです。アクションを呼びかけるフレーズが作られました。REFORMAはまた、今この時[の流れ]を利用して、私たちのメンバーが出版業界でよりよい表現が可能なのか、そのこと実現するために組織として私たちに何ができるかをるかを考えました。REFORMAは議論をおこない、そのために読書リストを作ること、ラテン系アメリカ人が書いてラテン系の人々から共感を受ける物語に注目を集める為の成人向けの賞を毎年行うことを議論しています。私たちはメンバーにこの運動への参加を呼びかけており、運動が率先しておこなわれていくことを願っています。

Randy Boyagoda(トロント大学の教授、カナダ人作家)による批判記事

論争のほとんどが終わったあとのまとめなので特段内容は新しくないが、「アンクルトムの小屋」やサルマン・ラシュディ悪魔の詩」を引き合いにAmerican Dirtを語っているのは面白かったので一応追記。www.theatlantic.com

2月4日

ラテン系作家グループとFlatiron Booksの親会社が会談

作家グループのメンバー構成は不明だが、Bowles、Lovato、Gurbaの3人は少なくとも含まれる。
www.latimes.com
親会社のMacmillanは、会合のなかでラテン系の人々の雇用をMacmillan全体で増やすことを明言(後述のOprah's Book Clubのニュース記事によると、Lovatoは楽観視しているが、Gurbaは悲観視しているよう)。
なお、会合後にBowlesとGurbaの2人演説している様子がTwitterにアップされている。

3月初頭

後述のニューヨークタイムズ記事内の記述によると、ブッククラブ放送回時点でFlatron Books内における多様性の欠如に関する対処措置を講じたこと、またラテン系作家へのフェローシップやメンタリングプログラムを検討していることを明かしている。

3月6日

Oprah's Book ClubのAmerican Dirt回が放送。各種記事が上がりはじめる

Season1のエピソード3-4回(Apple TV+は未視聴です。すみません)
tv.apple.com
ニューヨークタイムズのまとめ
www.nytimes.com
AP通信のまとめ
Critics of Oprah book club title put new novel on trial |AP News
Winfreyとカミンズ以外にラテン系作家として"My (Underground) American Dream "の作者Julissa Arce、ワシントン・ポストのコラムニストEsther Cepeda、実際に国境を越えた経験についての本を何冊か書いているReyna Grandeの3人が参加。また、Flatironの社長Don WeisbergとAmerican Dirtの編集者Amy Einhornもオーディエンスにいた。
以下、ニューヨークタイムズの記事から重要な部分を抜粋

  • カミンズはあとがきの“slightly browner” という表現を後悔している
  • 夫が不法移民であることは重要な動機の一つだったので言及したいことだったが、アイルランド系の夫の経験をメキシコのそれと混同したのは後悔している
  • Grandeは本書を読んで「傷ついた、過小評価されていると感じた。出版業界は私たち移民の話に対してAmerican Dirtと同じような態度ではないから」と言及
  • Weinsbergが会社の多様性を高めようとしていると発言。また、Cepedaから深掘りされたら「会社のあらゆる面で変化が必要で、話は単純ではない」と付け加える。
  • Gurbaも会話に入る予定だったがその非はおらず。Winfreyが本をこのままブッククラブの題材にしたことに失望していて、「Winfreyがこの本を読んだことが問題なのだ」と電話インタビューで述べていた。

なお、AP通信によるまとめも詳細なので、こちらも一読をすすめる(まあ本当は実際の放送を見るのが一番いいんだけど……。)。こちらによると、どこかの段階で、American Dirtの宣伝文句から「現代における『怒りの葡萄』」が削除されているらしい。

論点の整理

やっとまとめに入る。
今回のAmerican Dirt騒動には、主に5つのレイヤーが存在しているように思われる。

1.作品そのものの拙さ:「メキシコ不法移民もの」としてのおかしな記述が多すぎる

ここで言う拙さとは、文章表現のおかしさ・メキシコ文化の間違い・(現実と照らし合わせたときの)明らかな校閲ミス・参考文献からのあからさまな描写流用など多岐にわたる。それはたとえば次のようなものだ。

  • メキシコ系の人が自分の家族のことを描写するのにわざわざ『褐色の肌に涙が流れた』なんて思うわけがない
  • メキシコ一般で使われるスラングが「メキシコ国境付近で特有のスラング」として描かれるなど、メキシコ系の人が読めば明らかにおかしいと感じるスペイン語描写が多い
  • 主人公の母子が麻薬カルテルから逃げようと乗りこむ列車は現実には麻薬カルテルに支配されてて安全ではない
  • あるキャラクターが死ぬ場面は、参考文献としてカミンズがあげたノンフィクションに描かれた「現実に発生した死」のエピソードを明らかに流用している

こういった「明らかにおかしな表現」の指摘は、正直あまりにも多すぎてまとめきれてない。キャラクター表現が画一的すぎるといった批判もある。
個人的には、そういった文章表現としてのおかしさは、「そういったもの」=「移民問題を現実に即して描くことをおこなわないことを前提としたある種の『ファンタジー』」=「リアリティを追求しないエンタメ小説」として捉えることができるなら、許容範囲ではないかとも思う。
ただ、この本のプロモーションでカミンズは「メキシコ系のアイデンティティを持たない白人の自分が本書を書くことが適切か」といった発言を何度もおこなっている。本書の執筆に5年かけていることを明言(喧伝)しているし、執筆のためのリサーチへの言及も多い。そういった主張をすればするほど、「白人作家であっても、調査に時間をかけたからディティールを獲得している筈」という期待をかなり獲得していたのではないかと思われる。だからこそ、「調査しておいてこの程度なのか、大して調査してねえじゃねえか」という落胆が批判を多く招いたのではないか(これは「たられば」であり、実際に騒動が起きたあとだから言えることだが、たとえば「メキシコとアメリカの国境地帯に住む人が話すスラングがおかしい」といった話も、実際にそういった場所の出身である人に設定考証を頼めばある程度解決したかもしれない)。
作品への批判の何割かは、その批判が的を射ているかどうかはともかく、作品そのもののクオリティの低さ(と読者が捉えたもの)に向かっているように思う。

2.意図的なプロモーションの欺瞞:「メキシコ不法移民もの」を売る為の大々的なキャンペーンと、そのためにおこなわれたアイデンティティの改ざん

……が、そこにプロモーション方法に話の矛先が向くと話はややこしくなる。
本書が発売前に7桁(最低100万ドル)で出版社に買われたこと、発売の1年近く前に映像化権が売られたこと、発売前に大物作家から絶賛コメントをもらいまくったこと、辛辣なレビューをリジェクトした雑誌が存在したこと、年始の「2020年おさえておくべき本○○選」に何回も選ばれたこと……そういった事実は、本書がかなり意図的にプロモーションされたことを示している。
そして、その大規模なキャンペーンが、メキシコ国境間の不法移民問題という「現代アメリカのホットトピック扱った作品」であることを大きな売りにして成立しているのはほぼ間違いがない。カミンズの祖母がプエルトリコ出身であること、そして夫が不法移民であること、この2つがプロモーション記事でほぼ必ず言及されていることはその傍証だろう。
問題は、カミンズ(あるいは出版社)が彼女のアイデンティティを明らかに「隠そうとした」ことにある。2015年の段階でカミンズは自身を明確に「白人」と定義している。もちろん、執筆段階で自分の祖母を源流とするラテン系作家としての自覚を手に入れた可能性はあるけれども、少なくともそういった発言はプロモーションの中で全く存在しない。むしろ、夫が実際は(メキシコ国境における不法入国問題とその状況とは全く異なる)アイルランド系の不法移民である事実を隠していた……むしろ、「不法移民の夫がいるから自分には執筆資格がある」といった振る舞いをしていた(と見做された)ことが、欺瞞的に取られたように感じる。

3.無意識的なプロモーションミス:カミンズや出版社が明らかに持ち合わせていなかった「配慮」

そして、「白人作家がメキシコ不法移民問題を描くことが孕む課題」に自覚的であるといった発言をしておきながら、カミンズや出版社の行動のいくつかは、明らかに無神経だった。
個人的には、出版キックオフディナーやカミンズのネイルに有刺鉄線使っちゃったやつは「著書のカバーをイメージしただけで他意はなかったんです」って言われると「まあ仕方ないかな」というか、「著者のための特別な催しやデコレーションに『著者のカバーデザイン』を使う」という発想はまあ理解できるじゃないですか。正直自分が当事者だったら「いいですね!」って言ってただろうし、燃えたあとに「たしかになー」って後悔してたと思う。これに言及したGurbaを見つけたとき「明らかに燃やしにかかってる……」と思った。
でも、「[配慮は]人々を黙らせてしまう」とか「わたしよりもっと茶色い人が書いてくれたら」とか、100万ドルで出版権売って成功した白人作家が言ってしまったら「どの立場でものを言ってるのか」という話にはなっちゃうのは仕方ないと思う。そんだけ出版社の支援を受けて、ニューヨークタイムズに作品冒頭掲載してもらえるような環境下にいる人間が「沈黙を強いられる」側なわけがないし、そんなこと言うんだったら書くなよって話になる。そういった発言自体が「白人特権」の照明になっており、どう足掻いても無神経の誹りを免れえない。

4.大規模なプロモーションが浮かび上がらせる出版業界の白人優位構造

更に問題なのは、そういった事情がある上で、メキシコ不法移民を題材に作品を書く当事者の作家を始めとする、非白人系作家はたくさん存在しているということだ。そういった人たちが出版業界の大規模なプロモーションの俎上に上がることは少ない……にもかかわらず、明らかに設定考証の足りない「白人によるエンタメ不法移民小説(この表現は谷林によるもの)」には100万ドルの値段がつく現実に対して、当事者であるメキシコ系作家がカミンズの発言と出版社の態度に批判の声を上げるのは当然ではあろう。
そして、これは自分の想像ではあるのだが、そういったことに出版業界の人間のほとんどは無自覚なのだろう。American Dirtが出版前に多くの人に読まれていたはずなのに同作の瑕疵が直されなかったのは、出版関係者にメキシコ不法移民問題の当事者が少なかった(あるいはいなかった)からだとは類推できよう。出版業界に従事する人の殆どは白人なので、構造的に非白人による視点が欠けがちなのではないか。
もっと言えば、業界構造が白人多数である現状を「是正」しようと思うと、かなり意識的な活動が必要になってくる。たとえば、あくまでたとえばなのだが、目の前でAmerican Dirtに100万ドル以上の値がつこうとしているときに、「待ってほしい、100万ドル出すならもっと当事者性のある素晴らしい作品があるのではないか」と止めることって中々できないと思うんですよね。商業的要請に逆らうのって、よっぽどの信念か必然性がないと難しいんだろうな……という想像は一応はたらく。だからこそ、#DignidadLiterariaが最終的にMacmillan全体の制度是正を促したことは、抗議運動の成功を意味しているのだと思う。

5.トーン・ポリシング問題

各種批判に対するカミンズや出版社側のレスポンスには「ある種の配慮は人々を黙らせる」「作品への批判は暴力を示唆する脅迫を正当化しない」といったものがある。
こういった発言に対して、「彼らは『American Dirtを批判する人たちは暴力的だ』というイメージを植えつけようとしている」という応答(批判)がちらほら見受けられる。
ざっくりまとめるとトーンポリシング問題なのだが、こういった主張の是非の判断は正直自分の手にあまる(ケースバイケースで、非当事者の自分は「それは正しい」「それは違うと思う」といった発言をするだけの当事者性を持ち合わせていない)ので、評価を割愛する。

まとめ

以上、American Dirtにまつわる各種状況とその展開、および私見ながらの問題点の整理をおこなった。
途中からつかれたので記述に間違いがあるかもしれない。また、本稿内に明らかな事実誤認や翻訳ミス、英文誤読などがあればご指摘いただきたい。
あと、冒頭でも書いたが、自分はAmerican Dirtを読んでないし買ってもいない。読む前に経緯を追ってたら「これに金落とすの良くないのでは……?」という気持ちになったのである。読まずに書いているのは意図的なものなのでご容赦いただきたい。もちろん、そのスタンスに対する批判は甘んじて受ける。