3日目はこちら。
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4日目
9時に起床して、朝ご飯は地下のレストランでブッフェ。この日は「ホムルスク」という港町に向かう。日本名だと「真岡」で、かの電信局集団自決事件があった町なのだが、その辺のことは割愛。ここに行く目的は廃墟探訪。戦前の王子製紙が運営していた真岡工場がソ連時代にもずっと使われており、操業を停止したのは90年代(火事が原因)。おそらく、サハリンにある戦前建築の廃墟で一番大きい建物なのだ。ここはユジノサハリンスクから山脈を越えて西海岸側に出ないといけない。
2時間ほど路線バスに乗る*1のはそこそこつかれたのだが、草原と空がどこまでも広がっている風景をみることができて、とても満足した。あと、道から見える植生が日本であまりみないものだったのもおもしろかったポイント。明らかに足が高かった。ホルムスクは街全体が海沿いの土地/山側の土地にわかれていて、その間を鉄道の線路が通っているので、油断すると行きたい場所に行くのが大変だったりする。このときも、バスを降りてから海沿いの廃墟に行くのにちょっと迷って歩道のない車道を歩くことになった。車が横をガンガン通り抜けていってこわい。ちなみに、この道を歩いていると、自分たちの横を通りすぎた車が少し前で止まって、突然運転手がロシア語で
「ジャパン? オー、クナシリ!(自分を指さしている。おそらく国後出身と言いたいらしい) ハバマイ、シコタン、エトロフ、ロシア!(笑顔で)」
と笑顔で話しかけてきたのマジで面食らいましたね……。めっちゃくちゃフランクな感じだったから多分ジョークだったんだろうけど、挨拶で北方領土はロシアってぶっ放してくるとは思わなかった……。友人は一緒に写真を撮ろうとしたけど、写真はNGらしいのでそのままさよならしました。
その辺になると、廃墟が既に視界に入っている。2日目の廃墟もなかなか味わい深かったが、ここの方がすごかった。廃墟のなかに川が流れていたあたりはもう完全にタルコフスキー『ストーカー』の世界ですよ。
しかし、友人2人の後について廃墟の階段を登っていくのかなり怖かったですね。命の危険その2でした。近年まで残っていたからそれなりにしっかりした場所なのだろうし、焼け残っても落ちてないなら階段もそこそこ強固なのだろうが(多分鉄筋が入ってるはず)、それにしたって。
こんな感じで廃墟散策を続けていると、突然ロシアの人が車で廃墟の入り口までやってきて、こちらに近づいてきた。そのままこちらになにやら話しかけてくるのだが、全員ロシア語がしゃべれない。そのためGoogle翻訳アプリを活用してコミュニケーションを試みた。Google翻訳機能のひとつに「会話モード」があり、以下のような感じで日本語とロシア語を相互に翻訳してくれるのだ。
こちら「私たちは観光客です。写真を撮っています」→ロシア語に翻訳して見せる
↓
相手が喋ったもののGoogle翻訳「私有財産のために写真を撮りますか?(商業利用ではないのか、という意味っぽい)」
↓
こちら「趣味で撮っています。本に載せたりはしません」と話す
↓
相手が喋った言葉のGoogle翻訳「安全に気をつけて」
相手は去って行ったのだが、結構緊張した。あとから友人に聞いたところによると、そもそもこの土地自体は現地の工場の私有地らしいのだ。妙に獣道がしっかりしているなと思っていたが、工場の職員さんが日常的に使っているんだな……。トラックヤードのようなものなのであった。
大体1時間くらい見たら、バス停の広場まで戻って軽食をとった後にホムルスクの街を散歩がてら見て回る。日本統治時代の神社があった場所に当時の石畳が残っているのである。ちなみに、階段を登ったところあるのは銀行の立派なビル。
一時間ほど散策したあとは、再びバスに乗ってユジノサハリンスクまで戻りました。しかし、この帰りのバスがまた中途半端にボロくて、一番後ろに座ったところ、車のスプリングがいかれていたみたいで揺れがダイレクトに首まで伝わってくるという最悪の乗り心地……。
街に戻ったらそのままホテルに直行し、晩飯。食事後はホテルの部屋でダラダラと部屋飲み。手前に写ってるのは前日にスーパーで買った切り落としの青カビチーズでクッソうまかったのですが食べきれない&普通にホテルに忘れて帰ったのでめっちゃくちゃ悲しかったですね……。
余談
ホムルスクにも野犬めっちゃいました。
最終日はこちら
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*1:この路線は昨日まで乗っていたバスとは違い、長距離路線扱いだったかであるためかバスチケットを事前に購入する必要があった。