真っ白な館

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ドキュメンタリーシリーズ『ベトナム戦争の記録』は現実認識の解像度が跳ね上がる

以前この記事でも書いているように、ここ半年ほどはずっとドキュメンタリー番組にはまっている。観るのはNetflixで配信されているものなのだが(他を観ない理由は特にない。契約しているのがNetflixだからです)、今回観たのは『ベトナム戦争の記録』(ケン・バーンズ&リン・ノービック, 2017, PBS[Netflix視聴])だ。
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長い。90分〜120分×全10回、全18時間の長編ドキュメンタリーだ。正直その長さもあって少し二の足を踏んでいたのだが、 それだけあって見応えがあった。
ベトナム戦争の概略を知りたければざっくりWikipediaでも読んでもらえればいいが、そういう前準備は必要ないと思う。このドキュメンタリーシリーズでは、ベトナム戦争を中心に、その前史であるフランス占領下の前20世紀から21世紀(番組が作られた2017年)現在までのベトナムの様子を映像/写真史料とベトナム戦争の経験者/関係者(遺族・被災者など)と共に時系列順に追っていく。アメリカのTV局PBS(公共放送サービス)で作られ、Netflixでもその後配信がはじまった。監督はケン・バーンズとリン・ノービック。
18時間にわたる番組ともなれば、とにかく様々な関係者がインタビュイーとして出てくる。戦争の経験者、その家族/遺族、CIA、反戦活動家や徴兵忌避者……そして、それと同時にベトナム側のひとたち。南軍・北軍の経験者、戦争の被災者である女性、いわゆる「ベトコン」に協力していた市井の人々。総勢79名にも及ぶインタビューと共に、どのようにして戦争が進んでいったのかが語られていく*1
戦争でどれだけ悲惨なことが起ころうとも、それが「そういうことがあった」という伝聞と、「わたしはこういう経験をした」という経験者の言葉とでは、聞き手/読み手にとってインパクトが異なる。村をひとつ丸々焼いた話。戦闘で負傷した自分を仲間の兵士が助けようとして次々と撃たれていった話。胸に大穴が空いて、病院に運ばれるまで/運ばれても「こいつは助からない」と思われ半ば死体扱いされ、眠りに落ちるとき死を覚悟した話。サイゴン撤退時に一番最後まで大使館に残っていた兵士の話。戦後、PTSDを発症して町中で奇行に走ってしまった話。それらが全て、当事者の言葉として語られる。それらは兵士にとっての物語だけでなく、その周辺状況の話もしっかりとおさえていて、一面的な語りにならないようにしているのがいい。たとえば、北ベトナム南ベトナムにゲリラ戦をしかけるために作られた密林の道「ホー・チー・ミンルート」の作成に携わる女性の話。ベトナムで死んだ兵士の生い立ちからその死亡通知を受け取るまでの家族の話。徴兵を忌避してカナダに逃げ、そこでアメリカ市民権を捨てたことで未だに後悔している男性の話。そこにあるのは強烈なダイナミズムだ。
語りだけでなく、写真/映像史料も重要である。これは私の偏見で申し訳ないのだが、普通に生きていると、以外と歴史的な写真/映像史料をみる機会は少ないと思うのだ。特に、戦争となればなおさらである。そしてこの映像シリーズを観る上で避けて通れないのが死体だ。戦時下なので死体がバンバン出てくるのは当然だ。たとえば、第1回で最初に観る死体は、フランス占領時代に反乱を起こしたベトナムの人たちの、さらし首の写真である。それを皮切りに様々な映像/写真が出てくる。おぞましいエピソードと一緒に。特に有名なベトナム戦争の記録といえば3つある。サイゴンで警察官が敵軍の男性を自ら射殺する映像と、爆撃により泣きながら裸で逃げてくる少女、そしてソンミ村での虐殺(どれもインパクトが強いのでリンクも貼らないが、適宜検索してみてほしい)。その辺りも全て写真/映像として映し出される*2
そして、映像/写真としてでてきはしないが、証言や伝聞として語られるエピソードもインパクトの強いものが目白押しである。ソンミ村の虐殺に関する告発を受け取ったニクソンが「ニューヨークの汚い腐ったユダヤが背後にいる」と発した話には絶句する。「ニューヨークの汚い腐ったユダヤ人」。“dirty rotten Jews from New York”ですよ。声に出して読みたい英語。ベトナム戦争アメリカ政府が撤退の判断に失敗しつづけたというのは有名な話だが、その過程を丹念に、丁寧に説明していく。社会心理学の講義でそのまま出てきそうなリスクヘッジの失敗そのものが語られるし、制度設計に失敗した結果起きたベトナムでの虐殺の誘発も語られる。戦争の成果を定量化するために撃墜対被撃墜比率(キル・レシオ/Kill Ratio)を使った結果、兵士ではない村民たちを無差別に虐殺することが横行したのだ。それ以外にも、ベトナム戦争では本当に死者の耳を切り取って保存していた兵士がいた話などがあった。
何が言いたいかというと、この番組は(至極月並みな言葉で恥ずかしいが)聞くとみるとでは大違いという現実の山積みだったのだ。「事実は小説より奇なり」とはよくいったもので、フィクションで見聞きしてきたようなエピソードを、いざ現実のものとして提示されるというのは、天地がひっくり返るような衝撃を受ける。こういうことがあったからこそフィクションでもそういうものが描かれていった、ということでもあるだろう*3
58年から73年までの15年間に、様々な人間が様々な出来事を経験していた。一覧の番組の冒頭でインタビュイーの一人は語る。「最近になってみんなが『あの戦争はなんだったのか』と自問しはじめた。それまでは皆が口をつぐんでいた」と。彼ら/彼女らの、個々人のバラバラの語りだったものが、戦争後に戦没者追悼碑を建てるくだりで全てがその追悼碑と戦死者に思いをはせるくだりへと映っていくときの、すべてが結実していく感覚は白眉だ。彼らの語りにより、視聴者がベトナム戦争に関するある種の(それそのものではないが、その一部の)追体験をおこなうことができる。それがこの番組だ。「リアリティと呼ばれるもの」の解像度がグッと上がる、とてつもない体験だった。

*1:個人的に一番衝撃を受けたのは、第7回以降のインタビュイーにアメリカ文学の著名な作家ティム・オブライエンが出てくることだ。ティム・オブライエンの肉声!

*2:色々とショッキングなことばかりを強調しているが、映像制作者の側としても過度にきつい動画を使うことは避けているみたいだ。たとえば、ソンミ村での虐殺のWikipediaページを見ると、脳や内臓が飛び出た写真がカラーで掲載されている。しかしそういったものは、おそらく意図的に番組内で使われていない

*3:知人からは、「(ごくごく大雑把な傾向として)「ある種の物語定型=お約束にしたがって話が進むのがフィクションであるのに対して、現実=ノンフィクションはそのお約束に縛られないのでかえって突飛な出来事が起こるように思えるのかも」との旨指摘を受けた。