真っ白な館

思い付いたことを書きます。

かるい読書会第1回(ジョン・ヴァーリィ『汝、コンピューターの夢』)に参加してきた

biotitさんが主催した読書会。参加者は9名で、各人ざっくばらんに感想を述べ合う会になった。レジュメなどは特になし。
読書会には3名ほど、バラード好きでヴァーリィもそれなりに読んでいる方々が参加していた。特に、大学時代にヴァーリィを読んでいたu-kiさんが、当時の科学技術や文化的背景、あるいは日本におけるヴァーリィ受容の歴史といった概要を説明してくれるなどしてくれた。また、主催のbiotitさんが色々とヴァーリィの情報を海外のウェブサイトから仕入れてくれていたので、ヴァーリィがインタビューで語っていたことを適宜読書会中に補足してくれてたり。知らない事を他の人が教えてくれるのは読書会の醍醐味である。
ヴァーリィそのものが初読だったので、自分は大体以下のような感想を抱いた。

  • ガジェットやテーマの扱い方よりも、ストーリーテリングの巧さに引きつけられる
  • 科学技術や社会的価値観が変化しても人間の友愛や思いやりといった本性的部分は維持されており、それが読み手の感情を揺さぶる。大変すばらしい
  • 今でも読まれていておかしくなさそうなのに、気のせいかそれ程読まれていないように感じる。今で言えばケン・リュウと同クラス。
  • 「ピクニック・オン・ニアーサイド」や「鉢の底」が特によい

で、読書会でもそんな感じのことを話した気がする。
他の参加者の方々からは、〈八世界シリーズ〉の扱うSF的思弁性についての意見を多く聞けたように思う。たとえば、

  • 男女の性別が入れ替わるというのは今のジェンダー問題にも通じるものがある
  • ただ、一方でジェンダー観がすごく固定されている部分もある。今のヴァーリィが新作を出すときには、ジェンダー的な部分の価値基準をアップデートした作品を書いてみてほしい

等々。
自分の方は、言いそびれたことがいくつかあったのでここに書いておく。
ジェンダー観が古いという点は、多分ストーリーテリングに重きを置く作家であることが原因だと読んだ。キャラクター小説的というか、魅力的なキャラクター造形を意識した結果なのかその分「わかりやすい」(ある種の定型的な)言動をとることが意識されたのかと。本来ならあまり気になることがないものが、「簡単に性転換可能」というガジェットが出てくる事で逆に違和感を持たせてしまったパターン。多分。
二次会でも色々なお話しが出たらしいのだが、自分は体調不良(頭痛)がしはじめたので一次会で帰った。
それにしても、「ヴァーリィは光のピーター・ワッツ」というパワーワードはしばらく忘れられそうにない。