樺太旅行に行ったの去年の9月でもう半年以上経ってる……。本当にすみません。
あと私事ですが第10回創元SF短編賞日下三蔵賞をいただきました。
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前回の記事はこちら。
whiteskunk.hatenablog.com
■2日目(土)
朝9時に起きて、9時30分にホテルを出て行動開始。とりあえず朝ご飯を買うことにする。
サハリン全般に言えることだが、キオスク的なものが至る所に点在しているのが面白い。
ユジノサハリンスク駅の駅前だとこんな感じで、10-20メートルおきに1店舗存在したりする。土地の使い方が贅沢。
ホテル前のキオスク店に入り、早速ピロシキめいたものを食べる。友人はロシア語で「マントー」と発音される何かを食べていた。白い生地で、肉とか野菜を包んだ食べ物。要は饅頭/肉まんである。自分も一口もらった。味付けがロシアっぽいというか、肉と野菜を基本的に塩のみで味付けたような、素朴で肉の味がする。
店員のおばさん、昔日本に住んでいたことがあるらしく、片言の英語(日本語ではない)で話しかけてきた。とはいえたくさん話ができるわけでもない。
飯を食べたあとは、友人のSIM購入や自分のキャッシング再挑戦などで1時間ほどぶらつく。「Банк」は「bank」に相当するが、実際あちこちにある。おそらくATMがあると大体「Банк」。しかし、どこに行ってもATMでお金を下ろすのには失敗*1。友人のSIMは購入成功。携帯ショップの店員さん、ガムをかみながら接客しててちょいこわかった。でもこれくらいゆるくやっていくべきだと思う。
その後は駅前公園のショッピングバザールや、駅前のとおりを歩きまわりつつ、サハリンの美術館へと向かう。ここは日本統治時代の北海道拓殖銀行豊原支店跡を再利用しているのだ。日本人の画家の展示会をやっていたっぽいけど、目的は外観の写真を撮るだけだったのでスルー(あと、若干入館料が高かったので……)。
それよりも自分が気になったのは隣の建物。美術館の横に図書館があった(美術館・図書館・公園が集まっている。ちなみに、チェーホフはサハリンに来たことがあるということから、ユジノサハリンスクにはチェーホフ文学館がある。今回の旅行ではタイミングがあわず行けなかった)。
歩き疲れていたというのもあり、まあ無碍にはせんだろうと思いロビーに入って軽く写真を撮らせてもらっていた。すると、司書さんたちのご厚意で、図書館内をガッツリ見学させてもらえることになった。突発的に発生したこの見学ツアーが予想以上によかった。図書館内には旧樺太時代の写真がたくさん飾ってあったし、戦前の樺太の写真帖も見せてくれた。あと、ロシアの共産党の機関誌のバックナンバーもあった。ロシア語がガッツリ読めたらもっと楽しめたと思う。なお、ナボコフの本がないか探してたんだけど時間内に見つからなかった。*2。図書館を出た後は1キロほど市街を歩き、サハリンの博物館へ向かう。一瞬「エセ日本っぽい……」と思ったんですが、大正時代に建てられた建物です。屋内は戦前の西洋建築っぽい造りだった。
建物自体さほど大きくなく、展示内容もたくさんあったわけじゃないが、雑多で面白かった。サハリンの地質学的な話とアンモナイトなどの化石、択捉島にある六角柱の標本(択捉島!)、サハリンに住む動物の剥製。類人猿特集をやっていたらしく、アウストラロピテクスからクロマニヨン人まで様々な頭蓋骨を並べて展示していた。西暦以降の歴史学的な展示になると、アイヌの色々な道具も展示してあった。サハリンのアイヌにも様々な品が日本から交易で届いていたので意外なものも。一方、文化の違いからか「おいおいこれ大丈夫かよ……」と思ったものがいくつかあった。まあ掘り出した墓の発掘現場と人の骨をそのまま展示するのはいいとして、類人猿特集の横に常設展示とはいえアイヌ人の頭蓋骨置くのまずくないか……?あと、近現代コーナーの「日本人が残していった物品」の展示に位牌が混ざってた。位牌ですよ。文化の違いを感じる……。あと、当たり前ですがサハリンはロシアなので、日本兵の抑留写真がガンガン展示されてたのは新鮮だった。博物館を観終わったら14時頃だったので、昼飯。とはいえ、店がたくさんあるエリアから結構離れてしまったので、近くにある手頃な店で済ませることになり、韓国料理屋に入る。ちなみに、サハリンはめっちゃくちゃ朝鮮系(≒非日本語話者のアジア人)と思しき人々が多い。ビビンバめっちゃおいしかった。
飯を食い終えたら、ユジノサハリンスク駅前からバスに乗って1時間ほどの場所にある港町の「コルサコフ」へ。ここは稚内からのフェリー便が停まる町である。一応電車で行くこともできるが、旅客列車は1日に数本というレベルまで減っているので時間があわず。
ユジノサハリンスク市内のバスには2種類ある。公営のバスと私営バス。公営バスはおおよそ普通想像するような大型バスなのだが、私営バスは本当にただのワゴン車である。ワゴン車の後部座席を全部くり抜いて、15人分くらいの小さな座席を並べただけだ。これにはかなり衝撃をうけた。なにせ、ぱっと見ではバスなのかどうかわからんのだ。しかしこれらは公共の交通網に組み込まれていて、ユジノサハリンスク周辺の町へ向かうバスのほとんどはこの私営バスだ。コルサコフへのバスもこの形態で、座り心地がお世辞にもよいとは言えない1時間をすごした。 コルサコフに来た目的は、廃墟写真である。友人は廃墟とカメラが趣味であり、サハリン州には旧日本統治時代に作られた「王子製紙」の工場跡があちこちに残っている。ここにはそれを撮りにきたわけだ。
本格的な廃墟に出くわしたのははじめてだった。味わい深いものがたくさん。よい。しかし、困ったことにこの隣が完全に野犬の群れの生息地となっており、奥に進めば進むほど野犬が我々を監視してくるのであった。。流石に10頭以上の野犬の群れって恐怖です。野犬ですよ野犬。日本では狂犬病対策として公式ではすべて駆除したとされる野犬。命の危険を感じる一歩手前までいった。なおこの旅行中命の危険を本気で感じたのは2回ある。
写真を撮ったあとは、徒歩で20分くらい高台に登っていく。 サハリンでとにかく感じるのは2つ、「道が未整備であること」「建物がボロいこと」。基本的に、わざわざ建て直す必要がないから整備しなおしたりしないのかなー、と思った。砂埃がひどかった。道中で通った公園はきれいでした。 17時頃に『地球の歩き方』に乗っていたビアバー「ペンギンバー」へ。ここは「当たり」だった。あとから調べたところによると、ロシアは2010年頃までビールがアルコール飲料として扱われていなかったらしく(度数10%未満はアルコールじゃなかった)、その名残なのかなんなのかはわからないが、ここでしか飲めない地ビール5銘柄が350ml100ルーブル、500ml160ルーブルだった。160ルーブルって日本円で300円未満ですよ。ペリメニやソーセージ盛り合わせもめっちゃくちゃうまい。高台まで延々と坂道を上り下りしたあとだったので最高でした。 その後は(やはり座り心地の悪い)バスに乗ってユジノサハリンスクへ。宿は昨晩と同じなので、早々に部屋に戻って就寝準備をする。就寝は23時頃だったが、日本時間で言えば21時。ものすごく健康的な生活リズムだった。
たしか、この日あたりに『宮沢賢治とサハリン』を読み終えたはず。宮沢賢治は、当時日本領だったサハリン/樺太に旅行に行った経験があり、その旅路の中で「オホーツク挽歌」とされる一連の詩群が作られた(『春と修羅』所収。一部未完成で掲載されなかった)。それらの中には、樺太旅行の前年に結核で亡くなった妹トシへの思いが、希死念慮とも読める鬼気迫る慟哭として綴られている。この本では、電車・旅行ライターの筆者が当時の電車ダイヤや新聞、地域情勢等の文献を丁寧に紐解き、宮沢賢治がどのような旅路のもとにそれらを書くにいたったかを追想する。旅行中に読むものとしては完璧だった。
宮沢賢治とサハリン―「銀河鉄道」の彼方へ (ユーラシア・ブックレット)
- 作者: 藤原浩,ユーラシア研究所ブックレット編集委員会
- 出版社/メーカー: 東洋書店
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