真っ白な館

思い付いたことを書きます。

バランスのいい作品がラストで一線を越えてしまった!『天気の子』感想

『天気の子』を観た。二連続でこのレベルの作品が出てくるのマジ……? 自分は新海誠作品のなかで一番好きかもしれない。

映画『天気の子』スペシャル予報
※以下、ネタバレに一切配慮していません。
予報を観た時点で変な声が出るわけですよ。「セカイ、っていう言葉がある」からはじめて『ほしのこえ』『雲の向こう、約束の場所』『秒速五センチメートル』『星を追う子ども』『言の葉の庭』『君の名は。」と一連の作品から「セカイ/世界」の台詞があるところを全部引っぱってくるだけじゃなく、類似するカットをふたりに対応させて映し出し、その上で少年と少女/少女と少年/青年と女性の二人が名前を呼び合うシーンで一気に畳みかける。この映像を素朴に解釈するとどうなるか——新海誠の作品において「セカイ」とは「自分が想いを寄せる人」である。それらが『天気の子』の冒頭、「セカイのかたちを決定的に変えてしまったんだ」という台詞につながっていくのが意図的な犯行であることは言うまでもなく、セカイ系という単語を頭から追い出すのは難しい*1、ピンクの象を考えるなと言われて考えないでいるのは不可能だという意味で。
本作では、「少女」を「セカイ」と直結させるため、各種描写が絶妙なバランスで意図的に削られる。たとえば、陽菜の能力はどうやら母親から譲り受けたものと思しき描写はかろうじて存在するが、母親自身は既に故人なので詳細は不明のままだ*2。細かな部分での描写の欠如は、設定レベルじゃなく物語のレベルでも変わらない。「いくらなんでもフリマサイトで「晴れにします!」というオカルト告知に3400円の依頼出すやつはおらんだろう」「神宮外苑花火大会の規模では予算承認下りるのか、いや自費か、それにしたってさあ」みたいな部分だ。その絶妙な「ふんわり」加減は全体に通底する。細かなツッコミを入れようと思えばいくらでも可能だ。一方で、話が破綻するほどでもない。そういったギリギリの「ゆるさ」がストーリー全体に横たわる。だがそれが駄目なのかというとそんなことがなく、結果として出力されるのはキメッキメのシーンや構図なのである。六本木ヒルズ屋上で観る二人きりの神宮外苑花火とか、少年少女の話でやるのに最高の/ベッタベタすぎでそれでしかできないシチュエーション。そう、この映画、めっちゃくちゃ素敵なジュブナイルなのだ。
「ゆるさ」の反対にあるのは変えようのない現実だ。歌舞伎町で拾った拳銃というマクガフィンはさることながら、警察たちから逃げ出すために「家出中の高校生」と「親が死んで二人きりの姉弟」が雪が降る池袋の町を徘徊する様子の、前半との対比っぷりである*3。対比という意味では須賀もまたあからさまだ。「東京に飛び出してきた「大恋愛を経て結ばれた妻は数年前に事故で亡くなっている*4」といった設定のうなだれた大人が「自分に似ているから」という理由で主人公を披露という構図! 物語のゆるさと厳しさはファンタジーとリアリズムに対応し、それらを担うのはそれぞれ天気の巫女である陽菜と、ただの高校生である穂高。この対比の果てに待っているのが「少女を取るか、セカイを取るか」という十数年前に色んな人の心を捉えて人生を狂わせたあの二項対立なわけである。こうすることで、成熟とかイニシエーションの話をこれだけ提示していながら、クライマックスとエピローグの間に3年の空白を設けて肝心の描写は省かれる。何を描くべきで何を描くべきでないか、どこで畳みかけるべきでどこで控えた方がいいかという取捨選択のバランスが半端ない。結果、本作は上質のエンターテイメントとして仕上がっている。
——にもかかわらず、東京は水没するのである! 少女をとった結果「セカイのかたち」は「変わり」、いつまでも止まない雨が東京の街を水没させる。一線を越えたこの展開は物語として飛躍している一方で、論理性はたしかに担保されている。犠牲もなしに得られるものはなく、少年は保護観察処分を受け、須賀は結局(逮捕されたのが原因で)おそらく娘を引き取ることはできなかった*5。「物語的な犠牲の果てに少年は少女と結ばれる」という構図は「セカイの平和を得る為に少女が失われる」という構図の『ほしのこえ』や『イリヤの空、UFOの夏』を連想しないでいるのもなかなか骨の折れる仕事であり、予報の映像からの文脈を踏まえた場合にこれらがセカイ系に対するアンサーと解釈することはあまりに容易だ。それなりにセカイ系に愛着のあるものにとってその誘惑に抗うのは生半可なものではない……なにせ、3年後にかつての大人たちとおこなう問答と、ラストのモノローグは穂高の選択を肯定するのだから。
あのラストを、物語の力で暴力的に肯定する。その突っ走り方、世界より少女をとってしまう選択肢、この、「こいつ、やりやがった!!!」という感覚の衝撃はすさまじい。おそらく、『天気の子』は傑作である。

小説 天気の子 (角川文庫)

小説 天気の子 (角川文庫)

その他余談

  • 19日9時30分のTOHO新宿で観たところ、劇場に入る段階では曇り空だったのに劇場を出てきたら晴れになったの視聴体験として最高すぎる。
    • 言の葉の庭』が劇場で公開されてたとき、バルト9で観たあとエスカレーターの大窓から新宿御苑とドコモタワーの夜景が見えたのも最高だったけど、新海誠は東京で映画を観るだけでフィールドバフがかかるの本当に強い。
  • 全体的にテンポがとてもいいし、エモーショナルに決めてくるところはしっかり決めてくる。ホテルの中でバスローブ脱ぐところとか。
  • 映像的に「おおっ」っとなったこと。
    • 東京という舞台設定がラストに活かされるのは言わずもがなだが、最後のシーンで「電車の止まった夏の線路」を走らせたのがとにかくうまい! ある意味で一番感動したシーンかもしれない。
    • 空の描写が白眉だった。雷の描写や、空から落ちていくシーン。
      • ちゃんと過去作全部参照してないから雑語りになるんだけど、新海誠において空は「描かれる」もの、背景美術としての空であって「キャラクターがその中にいるもの」ではなかった気がするんですよね。空の中にいる少年少女がひたすら美しい。
  • 未成熟さの現れとして陽菜の年齢設定を使ってくるのは見事で、年上と思っていた相手が年下だったというところのふがいなさ、年上相手だから大丈夫と思っていた未熟さ・至らなさがあの瞬間に襲ってくるあの感じ。
  • というかお前平成は終わったんだぞどうして俺はセカイ系に今更直面してるんだ!

2回目観た際のメモ

whiteskunk.hatenablog.com

*1:ここでの「セカイ系」の用法は雑です。詳細は前島賢セカイ系とは何か』を読んでください。

*2:病院のベッドに横たわる母親のアクセサリが死後陽菜持ち物になっていて、そのアクセサリはラストで空の上から戻ってきた際に壊れている。

*3:秒速5センチメートル』の引用を唐突にぶちこむんじゃない!!!

*4:この設定は当然ながら視聴者にバッドエンドを暗示する

*5:その一方で編プロがそこそこうまく回ってるっぽいあたりのバランスの巧さな。