真っ白な館

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感想:ひとの醜さと美しさ、そして生きることの呪いと祝福――『みにくいモジカの子』

※本記事は18禁美少女ゲーム『みにくいモジカの子』についての感想記事です
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『みにくいモジカの子』PV
これを読んでいる方は何歳だろうか。少なくとも18歳以上だと思う。18歳未満だったらいますぐこのリンクから回れ右して帰ってくれ
18年も生きていれば、色々なことがあると思う。楽しいこと、つらいこと、最高の思い出、最悪なトラウマ。小さいころは楽しいことばかりでも、大人が近づくにつれそんなことばかりでもなくなっていく。それはいいことなのか、悪い事なのか。人生に答えはない。自分自身がそれをどう捉えるか。
本作の主人公、種崎捨(すてる)にとっては、人生が楽しいものだったとは思えない。誰よりも醜い容姿を持ちながら、ひとの心が読める/視える男。常にみんなから避けられ、蔑まれ、傷つけられてきた人間。そうやって生きてきた人間、追いつめられた人間のタガが外れることから、この話は始まる。自分の好きだった女の子が、自分を醜い・汚らわしいと感じながらも、カースト最上位の人間から強制されて自分に告白してくる。自分にとって一番残酷な出来事を機に、すべてに絶望し、すべてを壊すことを決断する。表層だけをさらって一言でまとめるなら、これは種崎捨の復讐譚だ。本作は強烈な描写が次々と続いていく。好きだった女の子をレイプし、自分をおとしめ続けた相手に腹パンをかまし、自分を助けなかった生徒会長の目論見を破壊しようとする。それらはどれも碌な結末を迎えない。捨自身が生きるということに絶望しつづけているからだ。
故に、彼は常になにかを求め続ける。自分の好きな相手である双葉みゆが、自分に復讐することを敢えて受け入れる。わかりやすいのが九鬼綺羅々エンドだろう。心が壊れた綺羅々が、自分のことを恋人だと誤認しつづけるという状況において、捨は彼女を屈服させるという名目で、最後には綺羅々の恋人を演じ続け、それに最後はとりこまれる。捨は、なにもかもすれ違った、かみあわない最後をトゥルーエンド以外では*1必ず迎える。それでもそれがどこか、何かが美しい、儚いと思わせるのは、それらの根底に捨の希求するものがあるからだろう。言葉にするとものすごくくさい、ありふれた、わざとらしい言葉と思いはそれゆえに不変で、捨の置かれた状況において、それは時おり吐き気のする事態を引き起こし、ときには眩しいくらいの輝きを持つ。ひとの醜さと美しさ。
生きることがどれだけつらくても、この世に生を受けることは祝福に満ちている…なんて言葉は現実において中々発言しづらい。発言するには世界はとても複雑で、綺麗事だけでは世界が回らない。それでも、この作品の結末にいたったとき、なにかを信じることができるかもしれない。いきることが呪いであるかもしれなくても、世界に生まれ出ることを祝福することができるかもしれないと。少なくとも、この作品にはそんな力があるし、だからこそ自分はこの作品を傑作だと信じるのである。

*1:もしかしたら、トゥルーエンドでさえ。