真っ白な館

思い付いたことを書きます。

レイナルド・アレナス『夏の色』について

レイナルド・アレナス『襲撃』を再読している。レイナルド・アレナスが「キューバの隠された歴史」を描くことをテーマにしたペンタゴニア(苦悩の五部作)の第五部である。
テーマや主人公のモチーフ的なものを一貫させていることから五部作とされているが、ストーリーや世界観につながりはない。そのため、日本では五部作のうち第一部『夜明け前のセレスティーノ』、第五部『襲撃』の二作のみが翻訳されている。
『襲撃』は16年出版で、アレナス作品のおそらく10年ぶりの新規翻訳。訳者は若手の研究者山辺弦。このかたは現在アメリカで文学研究をおこなっているようである。
また、過去にレイナルド・アレナスを翻訳していた安藤哲行氏は90年代以降ほとんど翻訳の仕事をおこなっていなかったが、近年教授職を定年退職したからか、久方ぶりに翻訳仕事を出した(『クリングゾールを探して』)。
アレナスの翻訳環境はかなり期待がもてる状況ではあるが、出版予定の話は残念ながらまだ音沙汰もない。残りの三作の翻訳はずいぶん先になるかと思われる。
そのため、今回は数年前に書いた第四部『夏の色』(El Color del Verano/The Color of Summer )英訳の感想を転載しようと思う。原文の感想ではないのは大変恥ずかしくはあるが、Kindleにもあって読みやすかったのだ。第二部『真っ白ないたちどもの館』(El palacio de las blanquísimas mofetas/The Palace of Whitest Skunks)が読めるようにがんばりたい。
(以下、13年8月に書いた文章を加筆・改稿)

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5月7日 文学フリマ東京

数年前から知人を誘って「海外文学好き好きボーイズ」というサークルを運営しており、ここ一・二年はサークル参加していたが、今回は転職やその他諸々のプライベートで忙しいため一般参加となった。
とはいえ、購入したのは3冊だけだ。

1:ゆめみるけんり「ゆめみるけんり vol1」
ゆめみるけんりが今年から発行し始めた同人誌。
文学フリマといえど翻訳をちゃんと出しているサークルは5サークルもないだろう。ここはその希少なサークルの一つ。
詩や小説と同時に、ダンテ・アリギエリ/フェルナンド・ペソアミケランジェロなどの作家や詩人の翻訳を載せている。大変意欲的なサークルです。

2:東海SFの会「LUNATIC26-AFTER」
これまで買ったことがなかったサークルだが、スペイン語圏のSFを翻訳していると知りあらためて購入。
今回買ったのは2008年のSFワールドコン日本大会の参加レポート集といった趣の同人誌。
Yossという妙にいかついことで有名なキューバのSF作家がいる。自分はこの作家をbiotitの紹介で知ったのだが、東海SFの会の中嶋康年氏は08年の段階で紹介しているのであった。
掲載されているのは、宇宙のとある惑星に漂着し、とある不死の生物の肉を食べて400年生き続けた男の短編。

3:アントニイ・バークリー書評政策委員会「アントニイ・バークリー書評集第6集」
ミステリ作家アントニイ・バークリーが『ガーディアン』誌に掲載し続けた書評の翻訳集。数年前から翻訳をはじめ、今回で第6集。つぎで完結予定であり、またこちらを翻訳している三門さんは新しく私家翻訳レーベルを作成する予定だとのこと。

みなさん翻訳に対する意欲が大変高く、刺激された次第。自分もいい加減、レイナルド・アレナスの翻訳に手を着けたい所存。
とりあえず、全詩集「インフェルノ」を購入した。

長江俊和『放送禁止 邪悪なる鉄のイメージ』感想

Amazonを貼ってるけどYoutubeで購入すると楽。
どんでん返しか用意されており*1、素直にみれば大変満足できるのだが、このシリーズがこんなに丁寧であるわけがない。まあ多分以下リンク先の読みが多くの場合正しい。子供の読みはあまり支持しない。
[https://mattari-cinema.entacafe.com/hor
ror_eiga/hosokinshi_cinema_3ex/:title]
このテの、物語が解決されたようでいて実は全く明かされてない真実がある(それは丁寧に読みとけばわかる)という作品、大変魅力的である。

*1:どんでん返しがあるという事実がネタバレという向きもあるかもしれないが、ミステリをミステリと言及しているだけなのであしからず。

湯浅政明『夜は短し歩けよ乙女』感想

 およそ最高の映画であった。

夜は短し歩けよ乙女 (角川文庫)
 
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ジョナサン・カラー『文学理論(〈1冊でわかる〉シリーズ)』(岩波書店)

文学理論 (〈1冊でわかる〉シリーズ)

文学理論 (〈1冊でわかる〉シリーズ)

「文学理論とはなんぞや」という疑問には二つのレイヤーがある。文学理論の中身そのものへの問いと、文学理論の意義に対する問いだ。
文学理論の中身(ロシア・フォルマリズムだのニュークリティシズムだの構造主義だのフェミニズム理論だのといった文学理論の詳細・あるいはそれらの主要な論者は誰なのか)を知りたい人に本書は向かない。主要な理論の紹介は200ページのうち10ページほどで、概要をまとめるに留まっている。小事典的な用途のものを求めるならば、『現代批評理論のすべて』を読むほうが建設的と言える。

一方、文学理論そのものの意義を問うひと、なぜ文学の領域の外から持ってきたような理論を使うのかという根本的な疑問があるひと(たとえば「どうして夏目漱石を読むのにフェミニズム理論が必要なの?」といった類いの)、文学理論を使うことが文学の読みを歪めるように感じるひとにとって、本書はぜひ読んでもらいたい。特に、1章と2章。
文学理論を論じるにあたって、本書はまず「理論(theory)とはなにか」を語る。正しい答えがあるものになされる推量(guess)と異なり、「理論」は真偽がはっきりしないものにたいして使われる言葉だ。そして、理論は「常識的な考え方」に異議を唱える効果がある。つまり、文学理論においては「意味」「作者」「テキスト」「書くという行為」「読むという行為」=文学に触れるにあたって自明視されている考えを疑い、「新しい捉え方」を提示するという効果が生まれる。
重要なのは、それらはあくまでtheoryであり「正しい読み」を求めるものではないということだ。文学作品をとらえるにあたっての、新しい視点・新しい効果・新しい位置づけの可能性を探るのが文学理論である。文学は開かれている。社会のなかに位置づけられる文化の一つであり、学問としては人文科学として当然他の領域と隣接し、重なりあっている。*1

文学理論が「正しい読み」ではなく「新しい読み」を模索する一つの試みであるということ(そして学問そのものが「常識を批判(吟味)し、再確認していく」試みであるということ)を前提に踏まえて筆が進んでおり、本書は文学理論そのものの意義を読者に教えてくれるのである。一番大事なことを一番最初に確認するという点で、本書は入門書として大変優れている。

なお余談だが、文学理論を日本に紹介するにあたって90年代に多大な貢献をした石原千秋氏の夏目漱石論は大変刺激的。論文集『テクストはまちがわない 小説と読者の仕事』がおすすめ。

テクストはまちがわない

テクストはまちがわない

*1:本書では深く触れられていないが、同じ問題は文学研究の歴史で先達がすでに直面している。現在では「新批評(ニュークリティシズム)」と呼ばれている、『作品を社会的・歴史的・作者的文脈から切り離して、テキストだけから作品を精読する』というスタンスがアメリカ文学の批評や研究で流行した時代があった[らしい。この辺りは私も概要しか知らない]。しかしながら、ある作品を社会的・歴史的文脈から切り離すとそもそも『文字』という文化すらして成立しないのであり、作品の内と外を切り分けて読む事は本質的に不可能だったため、その後廃れていった